823  イナンナとニンリル

823  イナンナとニンリル



内宮イナンナの冥界下りの次に出てくる
イナンナが冥界の食べ物を食べた為
外宮ニンリルが交代で冥界の妃に

食物神ニンリル豊受大神の世話になる天照大御神イナンナ
現世と冥界の食べ物の世話をすることになった観音ニンリル豊受大神

兄の大年と大物主の二面神の
妃となった二人の話(妹と従妹)

山王から丹生川上神社上社から道入口
321.72 km(199.91 マイル)道入口34.332970, 135.956326
321.73 km(199.91 マイル)石畳より34.333140, 135.956151
321.63 km(199.85 マイル)玄関古墳より34.444370, 132.452938
321.66 km(199.87 マイル)上社まで34.333145, 135.955652
丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみしゃ)
〒639-3553 奈良県吉野郡川上村大字迫869−1
主祭神 高龗神 (たかおかみのかみ)
配神 大山祇神ニンマー
   大雷神エンリル
以前は罔象女神を主祭神としていたが、
大正11年(1922年)の現丹生川上神社(中社)との併合に際して、
高龗神に改めた。・・・・ここ

明治初年までは高龗神社という小規模な祠で、
その由緒も不詳であるが、
大滝ダム建設に伴う境内の発掘調査により宮の平遺跡が発見され、
本殿跡の真下から平安時代後半(11世紀末)以前に
遡る自然石を敷き並べた祭壇跡が出土し、・・・自然石を敷き
また付近からは、
縄文時代中期末から後期初め(約4000年前)・・・ここ
にかけての祭祀遺跡と見られる、
立石を伴う環状配石遺構が出土したため、
途中奈良・古墳時代にかけての断絶が認められるものの、
当神社の祭祀空間としての機能は縄文時代にまで遡る可能性が出てきた。

丹生川上神社上社から多賀大社
103.85 km(64.53 マイル)多賀大社35.225538, 136.291117
〒522-0341 滋賀県犬上郡多賀町大字多賀604
102.21 km(63.51 マイル)伊弉諾神宮34.460277, 134.852487+宮
〒656-1521 兵庫県淡路市多賀740
898.56 km(558.34 マイル)恐山 本堂41.327197, 141.090086
〒035-0021 青森県むつ市大字田名部宇曽利山3−2

◎山王から意富比神社(船橋大神宮)  完璧確定
699.99 km(434.96 マイル)山王玄関古墳34.444354, 132.452870
700.00 km(434.96 マイル)玄関34.444347, 132.452830
700.01 km(434.96 マイル)大黒柱
700.01 km(434.97 マイル)仏壇34.444325, 132.452725
意富比神社おおひ 35.696327, 139.993026
〒273-0003 千葉県船橋市宮本5丁目2−1・・・ここ
延喜式では葛餝郡意富比神社の名称
祭神 天照皇大御神イナンナ (ニンリルが季節交代する)
万幡豊秋津姫命・天手力雄命を配祀する   内宮正宮と同じ
創建 景行天皇40年 エンリル

天道様(太陽神)・・・朝日と明星
夕日とみる・・・日御碕神社の下の宮
食物神・・・ニンリル
千葉氏系の豪族富氏が宮司をつとめていた。千葉神社
これらすべて該当
明治維新時に起きた戊辰戦争の船橋の戦いで社殿と共に焼失
神宮の境内にある常盤神社には家康の歯を納めた家康木造が安置

山野浅間神社やまの・・・・さんの山王・・・ここも驚き
〒273-0031 千葉県船橋市西船1丁目5−7・・ここ
祭神 木花之開耶比賣命ニンガル
 小御嶽社  祭神:磐永姫命(姉)エレシュキガル経津主
 里宮浅間神社(石碑) 祭神:阿喜津姫命(安芸津姫)・・驚きイナンナ
六社の石祠
 古峯神社、藤森稲荷神社、天満宮、妙見神社、稲荷大明神、諏訪神社。
200m超の直線参道
R西船橋駅(または京成海神駅)から・・・海神
千葉街道を千葉方面へ600m進むと参道入り口

山王から山野浅間神社
697.96 km(433.69 マイル)山野浅間神社35.708025, 139.967486+宮

意富比神社(船橋大神宮)から山野浅間神社
2.66 km(1.66 マイル)

松戸から意富比神社(船橋大神宮)から道入口
13.43 km(8.35 マイル)道入口35.694773, 139.992201

意富比神社(船橋大神宮)から丹生川上神社上社から道入口
397.73 km(247.13 マイル)道入口34.332946, 135.956326
397.66 km(247.09 マイル)直接34.333138, 135.955656
〒639-3553 奈良県吉野郡川上村大字迫869道入口・・ここは完璧

ダムで移動しているのに
合わせてある

丹生川上神社下社
祭神 闇龗神くらおかみのかみイナンナとニンリル
天照皇大御神は日御碕神社の下の宮(日沈宮)や意富比神社(船橋大神宮)では
夜の神にもなっている二面神
意富比神社(船橋大神宮)から丹生川上神社下社から鳥居
411.74 km(255.84 マイル)鳥居34.305650, 135.803132
411.73 km(255.84 マイル)
411.73 km(255.83 マイル)
411.71 km(255.83 マイル)

意富比神社(船橋大神宮)から日御碕神社の下の宮から楼門
666.66 km(414.24 マイル)楼門35.429448, 132.629746

日御碕神社下之宮 経島から丹生川上神社下社
315.63 km(196.13 マイル)下社34.305902, 135.803216 +宮
日御碕神社下之宮 経島の祠 35.430460, 132.626454



解説者
江戸時代前期以降、式内社の所在地についての考証が盛んになると、
「式内大社 丹生川上神社」については
当時「丹生大明神」と称していた当神社に比定する説が有力となった。
その後、朝廷や幕府においてもこれを認めるようになり、
宝永7年(1710年)に中御門天皇の勅使が差遣されたのを始め、・・ここ
時には祈雨の奉幣がなされ、
また嘉永6年(1853年)に黒船が来航すると、・・ここ
翌7年に孝明天皇が当神社に宣旨を下して国家安泰を祈願し、・・孝明天皇
文久2年(1862年)には攘夷を祈願するなど、
二十二社の1社として遇された。
文久3年(1863年)、
天誅組の蜂起が起きると、
橋本若狭や中井越前という当神社社家の者がこれに参画したため、
討伐軍の兵火により本殿が罹災するとともに、
拝殿や社務所などが焼失した。

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