束荷神社

614 束荷神社


明治維新の話
山口の田布施町(田伏)から光市の話・・伏はマルドツク
   天狗  狗いぬ  小人 グレイ

麻郷福祉会館33.944619, 132.042597
〒742-1512 山口県熊毛郡田布施町麻郷奥504-4・・熊毛と麻郷

山王から大仙古墳
278.22 km(172.88 マイル)鳥居34.561411, 135.485798
山王から大仙古墳から鳥居
278.89 km(173.29 マイル)
278.88 km(173.29 マイル)
278.87 km(173.28 マイル)
278.78 km(173.23 マイル)

道入口から物部守屋墳から大仙古墳
10.71 km(6.66 マイル)大仙古墳34.564951, 135.488053
物部守屋墳から大仙古墳
10.71 km(6.66 マイル)大仙古墳34.564881, 135.487962

大仙古墳から聖徳太子磯長廟から聖徳太子御乳母三尼公御廟所
15.01 km(9.32 マイル)
15.00 km(9.32 マイル)
聖徳太子磯長廟34.519423, 135.639270
聖徳太子御乳母三尼公御廟所34.517207, 135.638610

大仙古墳から聖徳太子磯長廟
14.75 km(9.16 マイル)

物部守屋墳34.613059, 135.589328
◎物部守屋墳から山王
287.92 km(178.91 マイル)山王玄関34.444357, 132.452840

〒743-0101 山口県光市塩田 石城山
日本神社33.986202, 132.038246

山王から日本神社
63.63 km(39.53 マイル)日本神社
63.66 km(39.55 マイル)石城神社33.987444, 132.035678
63.69 km(39.57 マイル)宇和奈利社33.986080, 132.037315
〒743-0101 山口県光市大字塩田石城2233番地 石城神社
 山の中でも四桁の凄い番地にしている
祭神  大山祇神ニンマー瀬織津姫
   雷神 エンリル
   高龗神 

山王から束荷神社から鳥居
63.39 km(39.39 マイル)鳥居34.008312, 132.008559
〒743-0105 山口県光市束荷739・・住所と連動
〒731-0137 広島県広島市安佐南区山本9丁目34・・
山王神社跡(古墳) 神主家 古墳三基
大利神社 神主家
真幡神社 不明

束荷神社から米子の粟島神社から道入口
198.23 km(123.18 マイル)道入口35.444846, 133.294032
伊藤博文公産湯の井戸から米子の粟島神社から道入口
199.00 km(123.66 マイル)井戸34.008524, 131.995147

明治天皇陵から米子の粟島神社から道入口
233.30 km(144.96 マイル)墓34.937027, 135.781107
233.36 km(145.00 マイル)一の鳥居34.936631, 135.781204
233.33 km(144.99 マイル)二の鳥居34.936247, 135.781263
233.32 km(144.98 マイル)三の鳥居34.936619, 135.781217
墓は粟島神社の鳥居からジャスト

明治天皇陵から伊藤博文墓から道入口
365.19 km(226.92 マイル)道入口35.600156, 139.720113?

解説者
明治天皇以降の天皇の墓も丸いドーム状で、夫婦別墓である。
墳墓の前に神明鳥居があるのも同じである。
このような形式の墳墓は江戸時代の天皇の墓には無い。
この丸いドーム状の墓は朝鮮式の墓である。

今上(昭仁)天皇は、2001年、自らの出自について、
「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると
続日本紀に記されていることに
韓国とのゆかりを感じます」と述べている。
(萩藩の伊藤博文らは高句麗系といっている)

伊藤博文は、ロスチャイルド家により
幕末の孝明天皇と
その子の睦仁親王を弑殺し、
山口の田布施にいた南朝の皇統とされる大室寅之祐を
睦仁親王のなりすましにして、
ついに明治天皇にデッチ上げた。
明治維新は伊藤博文ら”朝鮮人”による日本での政権の奪取、
クーデターである。
ここが 最新の遺伝子検査で(警察の科研)
実行者たちが特定確定して
破綻してしまうのが 
時間の問題となった。

今 韓国との国交も破綻しつつある・・・
マスコミも 薄氷の上に居るから
必死で たぶらかしている・・・終末までの予算2000万円


解説者
先ず古来より粟屋社という神社がありました。
それがこの束荷神社の根本です。
その粟屋社に明治時代になって束荷周辺の神社を合祀します。
その合祀が今の束荷神社を形成しています。
やがては束荷村出身の伊藤博文をも祭神として合祀します。

古来より粟屋社という神社があり
明治時代になって束荷周辺の神社を合祀しています。
本社は明治42年当時の束荷村内の3社である。

1.粟屋権現(束荷神社)・・マルドック少彦名が不明
平治元年(1159)塩田村石城権現中座に鎮り賜う
【大山祇神】を横尾当郷山(通称宮の奥)に勧請し奉った。
元和6年(1620)当地新市に移転した。

2.山末権現(大平)
養和元年(1181)近江国(滋賀県)坂本山王権現・・山王権現
【大山祇神・大山咋神・稚産霊神】を勧請し奉った。

3.菅原神社(野尻)
嘉禄2年(1225)京都北野天満宮【菅原道真公】を勧請し奉った。

4.伊籐神社(樋ノ口)
大正8年(1919)元公爵【伊藤博文公】を蔡神として鎮座し奉った。

蔡神
・ 大山祇神(おおやますみのみこと)ニンマー瀬織津姫
・ 大山咋神(おおやまぐいのみこと)イエスの息子
・ 稚産霊神(わくむすびのみこと)エレシュキガル経津主
・ 保 食 神(うけもちのみこと)ニンリル稲荷神
・ 天穂日命(菅原道真公)雷神 エンリル
・ 伊籐博文命 (昭和34年)


ですから本来の根本は粟屋社です。  
その粟屋社は石城山から
祭神(オオヤマツミノミコト)をお招きして創建されています。   
粟屋神社
 (市、旧除高五年)意味不明 
祭神大山祇命(オオヤマツミノミコト)。

丸金のマークは金比羅さまだろうと思います。・・饒速日イエス   
蒼(青)と金比羅は一緒でなくてはなりませんから・・・。    
そうすると、今まで男神と信じられて来たオオヤマツミノ神は
「綿摘み」を意味して女神であるということになります。・・確定  
ひいては石城神社の中座には
「綿摘みの女王」がいらっしゃるということにもなりましょう。   
その女王をお招きしたので蒼屋権現だったんですね。 

「綿摘みの女王」は瀬織津姫ニンマー
http://kaifuusoo-575.sakura.ne.jp/kiroku-24.html
境内の裏手にも鳥居があります。

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